山下社長には「現場人間」の言葉が最も似合う。人付き合いやコミュニケーションで信頼関係を築くような人ではない。現場の叩き上げで信頼を勝ち取るタイプの人間だ。そんな山下社長が経営する株式会社ワイエスの社員たちは、山下社長へ絶大なる信頼を置いている。山下社長が信頼される理由は2つある。1つはこの仕事においてのカリスマ的な技術力と、そしてもう1つが山下社長自身の人間性である。
あなたの会社に置き換えて考えて欲しい。あなたは社長や上司に対して、瞳を真っ直ぐにして「信頼しています」と言えるだろうか? 社長や上司に対して「この人の為なら」と、他の用事を断ってまでも仕事に時間を費やすことはできるだろうか?
ワイエスの社員たちは間違いなくその姿勢を持っている。
なぜ、それまでにしてワイエスの社員たちは山下社長に信頼を置いているのだろうか。本インタビューでは、そんな山下社長の人間性と、仕事への流儀について、深く掘り下げて話を聞かせていただくことができた。
株式会社ワイエス代表 山下 力社長について
-それでは簡単にワイエスさんの事業について紹介して頂けますか?
なんか恥ずかしいですね(笑) 私の会社の仕事は、マンションやビル建物の水回りをメンテナンスする業務です。主に水圧で排水管を洗浄する「雑排水管の清掃」と言われる仕事を本職としています。
-雑排水管の清掃?詳しく教えていただけますか?
マンションは一軒屋と違って集合住宅です。集合住宅の場合は、電気もガスも水もみんなで共有して1つのものを使っています。排水の場合だと、1本の配管を全住戸で共有しているイメージです。全住戸の排水の汚れが1本の配管に集まるんです。特にマンションのような人が住んでいるところは、逆流なんかの水害を発生させないように予防処置として、定期的に排水管を高圧で清掃している訳なんです。
-排水を扱う仕事ですか?聞くとなんか…3Kってイメージがありますね。
その通りです。まさしく3Kです。汚いがまっさきにくるかも知れませんね(笑) でも、排水って生活上では絶対に関わることですし、汚い仕事だからこそ、私たちの仕事を目の当たりにしたお客さんには感心されることもあります。お客さんが喜んでいる声を生で聞けることがやりがいにもなっています。
-山下さんは排水管清掃の仕事をして何年になるのですか?
17年目になります。学校を卒業してから初めはアルバイトで入社しました。それから3年ほど経ってからですかね、会社からも認められるようになって、正式に社員になると同時にリーダーの役職をもらいました。
-その頃からずっと排水管清掃のお仕事1本ですか?
そうです。たまたまアルバイト紙にあった会社に連絡したのがすべての始まりでした。その時からずっと排水管清掃の仕事をしています。サラリーマンの時代で9年、独立して8年、合わせて17年間この仕事一筋ですね。
サラリーマン時代に培った、忍耐と努力
-サラリーマンの時代に何か辛かったことはありましたか?
辛いことばかりだったかな(笑) 学校を卒業してすぐこの仕事に就職しました。排水のメンテナンスはライフラインに関わる仕事だから365日24時間業務であることも理解していました。毎日が仕事三昧、でも「それが普通」って感覚でしたね。そうだからか、休日無しで働くことにはそれほど抵抗はありませんでした。一緒に働いていた仲間も同年代が多くて、遊びの延長みたいなノリと言うか、なんと言うか、仕事は辛かったけど仕事も楽しかったです。
それでも強いて言うなら、やっぱり休みが無かったことですかね。今だから言えるけど、最高50連勤くらいはしたかも。でも逆にそれがあったから、今でも少々のことならなんでも耐えられます。
-その会社で続けいこうとは思わなかったのですか?
そうですね、20代前半で課長の役職に就いて部下も多く持つようになりました。それからは、私の性格が会社の方向性に従えず、降格させられたこともありましたが(笑)色々あったけど、前の会社を辞めようと思ったのは、排水管清掃の仕事が嫌とか、人が嫌とか、休みが無いとかそんな理由ではありません。
-山下さんが仕事を辞めようと決断するってよっぽどのことですよね。
24歳の時に子供ができたのです。でも、子供ができたから仕事を辞めようじゃありませんよ。子供ができてからも仕事は以前と変わらずバリバリ働いていましたし、この仕事が嫌いになった訳でもありません。それが逆の発想と言うか「このままやったらアカンな」って、思うようになったんです。
-「このままやったらアカン」具体的にどういうことですか?
休み無く仕事に没頭して働き続けるような気持ちですかね。「男だから最終的には働らかなあかん」とは当然のように思っていたんですが、だからと言って家族の時間を犠牲にするのは、自分にとっては嫌だったんです。
それまでは「男だから仕事はやって当たり前」くらいの意志を持っていました。けど、子供ができてからは「仕事だけの人生であってはいけないな」って、ちょっとずつそう思うようになってきたんです。家族の時間や家族の幸せとか、仕事以外に大切なモノを見つけた感じですかね。やっぱり子供ができたことが、当時の私にとって大きな転機だったかも知れません。
-若い時から第一線で仕事をしている山下さんを会社は止めませんでしたか?
引き止められました。
-かなり、引き止められました??
はい、かなり引き止められました。
-それでも辞めると決断したのはやはり家族のためですか?
それもありますが、実はもう一つ理由があります。ほんとはこの仕事を辞めようと思っていたのです。私は若い時からこの仕事しかやったことがないから、良くも悪くもこの仕事しか知らないのです。だから、他の仕事も挑戦したい、自分を試したいって、今までと違う世界で自分がどこまで通用するかやってみたかったんです。でも…よくよく考えて「やっぱりこの仕事でやっていこう」と、最終的にはそう決断しました。
-それは何故ですか??
うーん。さっきの話と逆になっちゃうんですが…「この仕事しか知らないからこそ、この仕事で挑戦してみよう」って、考えるようになったんです。それも次は、またどこかの会社に勤めるのではなく、この仕事一筋でやってきた自分の技術と実力が「他の会社にも業界的にも通用するのか試したい」って、そう思い直したんです。
それと…ちょっとした自分の見栄もあって、子供が大きくなってから「お父さんは何の仕事をしているの?」と聞かれたら、「社長の仕事」と言ってみたかったんです。
平成21年1月。25歳の時に「ワイエスエコノス」を設立
-独立したての頃の仕事はどのようにしていたのですか?
独立当初は、元々、勤めていた会社から「応援」と言う形で、一人工の仕事をもらっていました。立ち上がりで仕事が全く無い状態はさすがに困りましたし、ここまでお世話になった会社にも迷惑はかけれなかったので、応援の仕事を受けながら他の仕事もとっていこうと、始めはそう決めていました。
元々、勤めていた会社からの仕事でしたし、何もなければこのまま仕事がもらえる状態だったんですが、自分的には「うーん…ちょっと」って、前の会社から仕事をもらえることが嫌だったんですね。
-嫌な理由は何だったのですか??
独立したての私に、前の会社が仕事を渡してくれていることには「助けてもらっている」と、感謝の気持ちはありました。でも…「独立したものの、これってほんとに独立なのかな」ってジレンマがずっとあったんです。
それと、自分で意思決定ができないことですね。結局は上からの指示でしか動けないですし、独立はしたけど鎖で繋がれる状態で、恐る恐る元同僚の機嫌を伺いながらみたいな。独立した時は「自分を試す」と決意したのに何も出来ない自分がいたんです。
-最終的に山下さんが下した決断は??
応援の仕事を受けてから3ヶ月で、お世話になった会社との取引きを辞めました。せっかくなら色々挑戦して自分を試したかったし、これからは自分で仕事をとっていこうと決めたんです。本当の意味で0からのスタートとなりました。
経験の無い営業活動に苦戦。月の仕事は4日程度…
-仕事が無くなってから、どのような行動にでましたか?
この仕事だったら自分の腕一つでやっていけると自信満々でした。しかし、現実はぜんぜんうまくいかなかったですね。営業に行っても「あなたは誰?」みたいな態度で門前払いです。相当の自信を持って営業回りをしたけどダメでしたね。
前の会社との取り引きが終わってからは、平日の仕事はまったく無くて、月に3〜4日仕事があればいいというような時期もありました。それでも、始めは「どうしよう」とはなったけど「まぁなんとかなるだろう」の方が大きかったかな。深く考えなかっただけかも知れませんが…でも、その時はほんとに仕事がありませんでしたね。
-仕事がない当時、奥さんは何も言わなかったのですか?
何も言わなかったですね。今でもそうですが、私の仕事で一度も愚痴や文句を言ったことがありません。
-奥さんは山下さんを信頼しているんですね。
ええ、まあ、そうなんですかね(笑)当時はどれだけがんばっても仕事が無くて、奥さんには「仕事に行く」とウソをついて、車の中でボーっとしている時期もありました。恥ずかしい話、あの時は3ヶ月か4ヶ月の間、家にお金を入れることができませんでした。そんな状態でも私の奥さんは文句一つ言わなかったんです。それが逆にプレッシャーになって、仕事をとる為の原動力にもなりました。
独立して3ヶ月後、スタッフを抱えるが給料が払えない
独立して3ヶ月後に一緒に働いてくれるスタッフを入れることにしたのです。彼とは昔からの付き合いがあったので、私の会社に快く入ってくれました。でも、かわいそうな話もあって…その当時はほんに仕事がない時期だったんですよ。それでね、彼に渡した1番少ない給料は4万ほどしか無い時もありました。今は笑い話で誤魔化せますが、当時は「ほんとに申し訳ない」と、思っていました。
それでも彼は「大丈夫っす!」と一言で返事をくれました。私の会社の事情を理解した上での返事です。その時に「この言葉は真に受けたらいけないなって」って決心しましたね。けど内心は…「来月も給料払えるかな」って正直、不安もありました(笑)
-スタッフの仕事はどのように段取りつけたのですか?
ちょうどその時期に、元々は会社の元請け※さんの関係にあって、この仕事で先に独立された方から「うちの仕事をやらないか」と声がかかったんです。私と先ほどの彼(スタッフ)と、二人は応援の形で現場に出してくれました。しかし、当時の彼(スタッフ)はまだ技術がぜんぜんなかったから、その方からは彼(スタッフ)の日当分をもらうことはできなかったです。だから、3ヶ月間は私が彼の給料を実費で渡していました。
※元請け:発注者から直接工事の施工を請け負った業者のこと。
-どのくらい仕事が無い時期が続いたのですか??
半年くらいですかね。半年間は応援で仕事を食いつないでいました。それから、年が明けてくらいか、前の会社のまた別の元請けさんから「仕事を直接、請けでやらないか?」と話しがあったのです。だから独立して半年後には、マンション1物件分の仕事を請けでやるようになりました。そのタイミングでもう2人、人を雇うようにしたんです。
1物件の仕事を請けるようになってからは、とにかくどんな現場でも請けるようにしましたね。例えば、高圧洗浄すると配管に穴が開きそうな漏水リスクがある現場とか、ほんとはやりたくなかった夜間作業もどんどん請けましたね。最高記録で5日間だったかな。昼夜連続で出勤しましたよ。もちろん私一人でスタッフにはやらしてません。
-なぜ、そこまでして仕事を請けたのですか?
トップとしてやるしかなかったんです。仕事をもらえただけでも嬉しかったし「請けた仕事なら全力でやり抜く」と、当時の私はただひたすらクソ真面目に仕事をこなすしか頭になかったんです。あの時期に仕事をもらう難しさと信頼関係を築く大切さを、身を持って知ることができたのだと思います。
謝罪。社長としての責任の重み。悔しい思い。やるせない気持ち。
-社長として辛かったことはありますか?
謝罪ですね。私たちの仕事はクレームがつきものなんです。人様の家の中で作業をするから、後になって「物が壊れた」とか、排水管清掃の1ヶ月後に詰まりが発生して「おまえのところの作業員は手を抜いている」とか、お客さんの言い分もわかるけど、一生懸命に仕事をしているスタッフの気持ちもわかるので、辛いと言うよりはやるせなかったですね。
不本意でも事故であってもクレームはクレームです。大きいも小さいも含めてクレームが連発すると、元請けさんからも「仕事を減らすぞ」みたいな警告も受けました。そんな時は「申し訳ございません」と、私は頭を下げるしか方法がありません。仕事がなくなるくらいなら、土下座でもなんでもする覚悟です。信頼を取り戻す、信頼関係を立て直す、継続して関係を続けていく、社長としての責任の重みを感じましたね。
自分なりのケジメ。法人企業へ。
-独立してから現在までの経営状況はいかがですか?
独立してからは年々会社の売り上げは右肩上がりです。ありがたいことに、仕事を請けでやるようになってからは、大きい物件ももらえるようになって、その分、トラブルや事故も増えましたが大きなマイナスも無く、今期は9,300万の売上げがありました。
-法人にされたのはいつ頃ですか?
法人にしたのは今から4年前の平成25年です。その時の社内のスタッフは4名で、年間の売上げが5,000万くらいでした。会社の規模が大きくなっているのは分かっていながら、経理は100%私がやっていたのです。日中は現場にでているから、経理の方が疎かになってしまって、さすがに税理士さんを雇うようにしました。
それと、スタッフの中には家族を持つ人間もいましたし、これから結婚する人間も2人いました。当時は個人事業の会社なので当然保険もありません。「会社としてしっかりしないといけないな」と、そう考えていた頃に、税理士さんから「そろそろ法人にした方がいいのでは」と、タイミング良くアドバイスを受けたんです。
-スタッフさんのことを思われて法人にしたのですね。
まぁそうですね。家族を持ちながらでも、個人事業の私の会社でがんばって働いているスタッフもいました。それと、小さい会社でいつ潰れるかもわからない状態でも、それでも私について来てくれるスタッフもいました。そんなスタッフ達への私なりのケジメです。会社が大きくなった時には福利厚生もしっかりしてあげたいと、自分と約束していました。やっぱりスタッフには感謝しかありません。
脱下請け。ワイエスの技術を社会に認められたい。
-これからの会社の方向性や、山下さんのビジョンは何ですか?
去年までのワイエスは100%下請けの会社です。私自身もサラリーマンの時代から下請けでしか仕事をしたことがありません。だから、次のステージは自社で仕事をとっていく、自社の顧客を増やしていくことだと考えています。
営業で言うと、私の友人のすすめで2年前にホームページを持ちました。目的はホームページで営業の窓口を開くことです。当時の私はホームページで営業ができるなんて、まったく信じていませんでしたね。それでも友人は「絶対にやるべきだ」と口うるさくすすめてきたんです。もっと言うと「ホームページの運用は俺に任せてくれ」って、そこまで言ってきたんですよ。
「それなら任せてみようかな」ってしばらく様子を見ることにしました。それから1年くらい経ってからだと思うんですが、ちょくちょく「ホームページを見ました」と、問い合わせが来るようになりました。それで、ホームページでもほんとに仕事に繋がるんだなって、私が1番驚いています。今では営業マンを雇わずとも、立派に営業の窓口を努めてくれています。
-新規のお客様と取り引きすることで、会社に変化はありましたか?
ありがたいことに、今では月に数件の問い合わせもあって、仕事もほぼ決まるようになりました。今後は新規顧客の売上げ目標も持って、お客さんの為にも新しい技術やサービスを向上させていこうと思っています。
新規のお客さんと仕事をするようになってからは学び続けることばかりです。下請けの立場でいると、元請けさんの指示無しで動くことは絶対にゆるされません。それが自社の仕事だと、自分達の判断で物事を決めることができます。当たり前に聞こえるかもしれませんが、これは本当に大きな違いで、私もスタッフ達もすごくいい勉強になっています。
それと経営者としての自己満足みたいなところもあるんです。さっきの話もそうなんですが、社会保険を完備してホームページを持っていることで、社会的に認められているような感覚です。最近では回りからも「ホームページ見たよ」って声を掛けられる機会も多くなって、自分の会社の名前も広がってきたなって、一言で言うと自信に繋がっています。
山下社長の仕事に対する信念・ポリシーを教えてください。
そうですね、「最後までやり遂げる」ですかね。例えば、自分に期待してくれている社員やお客さんや協力会社さんを絶対に裏切らない責任感はあると思います。何が信念だと言われると、はっきりわからないですが、プライドを持って昔から仕事をしてきました。
それと「何事も自分に置き換える」ですかね。やりたくないことも辛いことも楽しいことも、すべて自分次第だと思うんです。だから、嫌なことでもしんどいことでもまずは自分が率先して、受けるようにしています。そういった姿は社員達にも見せているつもりです。今は自分よりもスタッフ達にプライドを持って仕事をして欲しいです。私たちがこれまでやってきた仕事に自信と勇気を持って、何事にも挑戦していって欲しい。
将来に向けて大きく成長したい。
-後2年で10年目を迎えますが、山下さんが見る10年目のワイエスの姿は?
売上げで言うと1億5,000万です。今のワイエスは元請けさんがあって会社が成り立っています。なので、将来的には元請けさんから生まれる売上げや利益だけでは無く、自社の仕事を増やして売上げを上げていく方向性です。単純な望みですがワイエスの作業服を着て仕事がしたいんですね。50%は今の仕事を維持して50%は新規で自社の仕事をしているイメージをしています。
私たちの仕事はほんとにトラブルが多いんです。そのトラブルが自社の仕事なら自分達の責任で対処することができますが、それが元請けさんの仕事だと、いつまでも迷惑をかけている状態で…申し訳ない気持ちが離れないんですね。
たぶんそれはスタッフも同じ思いだと思います。「迷惑をかけちゃいけない」の意識で仕事をすると、どうしても思い切ることも出来なくて、逆に自分達の首を絞めることもよくあるんです。私はそうではいけないと思っているんです。
スタッフには、今までやってきたことに自信を持って、もっともっと前向きに挑戦していって欲しい。だから、ホームページからの問い合わせで難しい仕事があったとしても、なんでも取り入れてやっていくつもりです。それが、会社の成長に繋がると信じています。
最後に、山下社長から読者へメッセージ
まだまだ発展途上の会社なので未熟な部分も多いです。ですが、私たちが唯一自信を持って「これは絶対に負けない!」と言うことがあれば、それは現場力です。下請けだからこそ、蓄積された技術を持っています。また、突然、現場で起きた危機を乗り切れる数々の経験とノウハウもあります。私たちは現場の数だけ強くなれました。これからはワイエスの技術を、もっと幅広いお客さんにも知ってもらいたい。
そして、私たちの将来を共に築ける仲間も募集しております。ワイエスはこれからの会社なので個人的にもチャンスを掴めます。夢を持って新しいことにも挑戦できる、そんな会社へ成長させていきます。
あとがき
私が冒頭でも解説したように、山下社長をインタビューした率直な感想は典型的な「現場人間」だ。現場で培った責任感から生まれた芯の強さを感じた。山下社長の言葉からは「自分達の仕事を売っていく」のような想いは感じとれなかった。むしろ「自分達のやっている仕事は必ずお客様にも伝わるはずだ」と、古き良き現場職人の考え方と言うか、これだけ情報が溢れる現代だからこそ、現場力の信念を曲げずに経営しているのだと思う。
私個人の意見を言うと、建築や製造業やIT業界に関わらず、下請け業の方はよくこのような話をする「うちは下請けだから何もできない」や「うちは特殊だからしかたがない」と。自分達を特別扱いして言い訳を正当化する。そんなことでは何も始まらない。山下社長は半信半疑でありながらも、ホームページ営業を始めてからは、まだまだ小さな光だが、将来の可能性を見出すことができた。
2019年で10年目を迎える株式会社ワイエス様へ。その頃は、既存の元請様とも今以上に関係を深め、新規顧客とも幅広く繋がり、山下社長の人間性に惹かれる仲間が増え、そして1億5,000万の売上げ目標を達成していることを心よりお祈りしております。
※本インタビューは読者に合わせ言葉の編集をしております。