【失敗】無意識な動作が災いを呼ぶ。現場作業は常に緊張感を持って行う事が大切。
私事ですが、先日と現場先のお客様宅で問題を起こしてしまいました。
「人間だから誰でもあるよ」と、慰めも頂戴ながらも、この夏一番に反省しております。
実際にところは、排水管清掃の作業中に、ガラスコップを割ってしまいました。「なんで割れたの?
原因は何か思い当たる?」と、聞かれると、ただただ不注意でしかありません。
急いでいた訳でもないし、洗浄ホースが入りづらい配管でもなく、荷物が多い部屋内でもありません。
目の前にガラスコップがあるのに、私の視界にまったく入ってなかったのです。
物(ガラスコップ)の価値はお客様の中にある。
お客様はとても穏やかな方で「気にしなくていいよ。怪我しなかった?」と、ガラスコップを割った私に優しく声をかけて下さいました。私は反省とお詫びでしかありません・・
「良かった」とは、とても思えなかったですね。もし、このガラスコップがお客様にとって、深く思い入れのあるコップであったらと思うと、今でも額から冷たい汗が流れます。
破損した物が、高価であるか安価であるかは、私たちには関係ありません。物の価値はお客様の中にあります。
壊した事実を真摯に受け止めて、同じ失敗をしないように、しかと是正したいと思います。
一連の動作が「無」の状態を作っていたのでは??
私は考えました。なぜ不注意が起きたのか・なぜガラスコップを割ってしまったのか?
自負する訳ではありませんが、私は現場作業において、最善の注意を払い360°視野を利かせて作業に取り組んでおります。
なのになぜ??
それは一種の「無」の状態であったのでは?と、私は考えました。悟りに近い話で現実的ではないですが・・・あのラグビーの五郎丸選手のような「ルーティン化」と同様の現象です。
五郎丸選手は「ルーティン」つまり「同じ動作」を行う事で、心に平常心を保ち、無心になるよう自分でその状態に持っていきます。
私達の仕事もある意味、動作がルーティンになる瞬間は多くあります。
例えば、水が飛び散ればウエスで拭く、台所の作業の際は収納庫を開ける、ナットが緩んでいたら強く締める。
当たり前の動作ではありますが、この当たり前の動作こそ「無」の状態を作ってしまうと考えました。
意識を高める事でルーティンを防げる。
「台所の作業の際は収納庫を開ける」これは当たり前の作業です。が、
例えば取っ手が古かったり、プラスチック素材のタオル掛けがあれば、力加減を考えなければ壊してしまう可能性があります。
「ナットが緩んでいたら強く締める」これも当たり前の作業ですが、配管が腐食していたら、触ることですら危険です。
「水が飛び散ればウエスで拭く」これも当然の作業ですが、目の前にガラスコップがあれば、ウエスに引っかかりガラスコップを割ってしまう可能性もあります・・・
(今回はまさにこの展開で破損しました)
つまり、当たり前の動作を繰り返すと、意識より先に手が動いてしまっている訳ですね。
これが今回のガラスコップを割ってしまった原因ではないかと、私は分析しました。
自分のミスを、これだけの理屈で語り尽くす私にもビックリです。。
「ただ自分の不注意やん」と、言われればそれまでですが・・
何が言いたいと言いますと、現場作業において当たり前や絶対は無いと心底思いました。
私達の仕事は人様の家に入る為、常に緊張感を持って、意識と志を高く持たなければいけません。
反省の意味も込めて、今回のブログに綴りたいと思います。